2022年9月月次祭講話要約「皆一つに」

本日は、「皆一つ」についてお話をさせて頂きたいと思います。

 「皆一つ」という言葉があるおさしづは全部で118件あります。その中の一つに、岡田正彦先生が執筆されている「おやのことば、おやのこころ」にも掲載されています、「銘々に一つ〱の心あっては治まらん。皆一つに。」(M22.3.3)というおさしづがあります。この「皆一つ」にというお言葉は、身上や事情で行き詰った時にお伺いした際に、皆で談じ合い皆の心を一つにあわせて通るようにと強調されているお諭しが多くみられます。

 我々、天理教を信仰している者同士でも、人それぞれ違う考えがあります。同じ山を登るにしても違う道がありますが、それでも同じ頂上に到着するのであれば良いかと思います。そのために、皆が寄り添い談じ合い皆の心を一つに合わせて通るならば、親神様も踏ん張って下さるとおっしゃっております。しかし、たとえ親神様が結構な道にしてやろうと思っていても、皆が違う山の頂上を目指していたのであれば、ご守護を頂く事が出来ません。

 明治33年9月21日のおさしづに「何程、どうしてやろこうしてやろと思たて、皆そも〲ではどうもならん。皆人の事とも思わず、我が事と思てくれ。」というお諭しがあるとおり、他人の事も自分の事と思って、心を合せる事が大切なのだと思います。私はこうだという考えだけではなく、「水は方円の器に従う」ということわざの通り、誰にでも合わせる水の心、そして水は低い方へ流れていくように、心を低くして通り、互いに扶け合ってお通り頂く事が大切なのかと思います。

 目的をしっかりと定める、これが心定めでもあるかと思いますが、その目的に向かって皆が足並みを揃え進むことが大切なのだと思います。一人でも、理解はしていても納得しておらず不足するものがあれば、しっかりとしたご守護を頂けないのだと思います。また、本日は霊祭をつとめさせて頂きましたが、先人の思いもしっかりと受け継いで通る事も大切かと思います。

 本日は「皆一つ」についてお話をさせて頂きましたが、教会では教会長が皆の意見を聞いて、先人の思いを受け継ぎ、皆で定めた心に向かって、扶け合ってお通り頂ける道を談じ合い、その道をしっかり通ることで、ご守護頂く事が出来るのではないかと思います。

 教祖140年祭の三年千日の道が来年から始まりますが、本年も残り約3ヶ月です。皆一つの心で進んでいけるようお願い申し上げます。

 ありがとうございました。

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