只今は4月の月次祭を結構につ…
2022年7月 月次祭講話要約「ふしから芽が出る」
本日は、「ふしから芽が出る」ということについてお話させて頂きます。
ふし無くば分からん。どういう事あろうか、こういう事あろうか。ふしから芽が出る。
(おさしづ 明治32年1月17日)
このおさしづは、「山名分教会役員 平出團次郎、高室淸助両名 臺灣(台湾)布教の事務を取り調べの上、淸國(清国)厦門(あもん)へ布教致し度く願」とあります。
また、このおさしづの前文では「一つ楽しみの理留める心理に持って、一つふしという。」とあります。
私も教会で生まれ育ち、「ふし」という言葉を多く耳にしてきました。その多くは「ふし」とは何らかの悪い出来事である事情を指す言葉として扱われることが多く、私も「ふし」=「事情」という認識でありました。しかし、このおさしづの内容を確認しますと、親神様がおっしゃっている「ふし」とは「一つ楽しみの理留める心」とあります。確かに私自身、人生を振り返りますと様々な節があったかと思います。それは、先ほど述べた「事情」の「ふし」もありますが、それ以外の「ふし」も多くあります。例えば、小・中学校入学、高校ではおぢばの親里高校へ進学、天理医学技術学校へ進学、憩の家に就職、北海道へ帰ってきて単身赴任で札幌で仕事、そして昨年には本教会の5代会長とならせて頂いたなど、多くの「ふし」があります。小学校に入学した時には、友達100人できるかな?なんて考えていたのかもしれませんが、大人になって「ふし」を迎えるたびに、将来に向けて色々と思案し、将来を楽しみにする一方、また新しい事に挑戦する事への不安も少なからずありました。
このおさしづでは、台湾から清国の厦門へ布教に出させてもらいたいという願いでしたが、それに対して親神様は、行って良いとか、まだ時期ではないからダメだという良い悪いのお諭しではない訳です。つまりは、布教に出させて頂くという楽しみの理に対して皆が心を留めて思案し、その時定めた心を忘れずに、親神様にもたれて進めば「ふし」から芽がちゃんと出ると教えて下さっているのではないかと思います。
逆に言いますと、定めた心が自分本位で自分の損得のみで定めた心であったり、他人のために定めた心でも心半ばで断念したり、その「ふし」である人生の岐路を振り返って、やっぱり違う道の方が良かったなどと後悔するような心は神様に受け取って頂けないのかと思います。
また、前に進むご守護を頂くために必要な事は、心のほこりを払う事かと思います。心にほこりがあると、様々な身上や事情をお見せいただき前に進むことが困難になってきます。心のほこりを払うために必要な事はいつもお話していますが「おつとめ」が大切だと教えて頂いています。それと私はもう一つ「いんねん」の納消が大切かと思います。自分にとって過去の嫌な出来事などを、天理教では「悪いんねん」とも呼びますが、その「悪いんねん」を納消しないと、いくら表面のみの「ほこり」を払い綺麗にしていても、自分の意識していないところで心にほこりが溜まっている状態となってしまいます。その状態ではいけないと、親神様や霊様がその「悪いんねん」を納消して心のほこりを掃除して前に進んで欲しいがために、様々な身上や事情を見せて下さいます。「悪いんねん」と向き合うには、とてもパワーが必要です。目を背けて心の奥深くに押しやって蓋をして無かった事にしたくなる存在かと思います。しかし、蓋をしたからといって「悪いんねん」が無くなるわけではありません。その状態では前に進むことが困難となりますから、嫌な事でも「悪いんねん」を自覚して納消させて頂く事が大切かと思います。一人では「悪いんねん」納消が難しい場合は、信頼できる他の方に頼っても良いかと思います。
ふし無くば分からん。どういう事あろうか、こういう事あろうか。ふしから芽が出る。
(おさしづ 明治32年1月17日)
「ふしから芽が出る」ためには、人生の「ふし」で立ち止まって色々と思案させて頂き、他人の為、親神様にお喜び頂けることであるか思案して、さらに「悪いんねん」を納消して、心のほこりを払い、親神様にもたれて前に進むことで「ふしから芽が出る」結構な御守護を頂けるのではないかと思います。
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