2021年10月 秋季大祭講話要約 ~喜びの心に切り替える~

講師:柴田正慶(5代会長)

 只今は秋季大祭を無事つとめ終えさせて頂きました。どうも、ありがとうございました。

 少々お時間を頂戴してお話しお取次ぎさせて頂きたいと思います。

 この秋季大祭の10月26日は、親神様が人間をお創め下された元一日の日柄にあたり、また、長の年限変わらず、この世と人間をご守護下さり、陽気ぐらしへお導き頂く御教えをお啓き下された元一日の日柄です。

 陽気ぐらしをするために重要で、かつ根本原理である教えは、やはり「かしもの・かりものの理」であるかと思わせて頂きます。この教理の核心は、身体は親神様からの借り物で、心だけが自分のものであり、両者は心遣いに応じた守護を頂くという事かと思います。つまり、我がものである心の遣い方が、いんねんとして様々な事をお見せいただくのかと思います。

 8月の月次祭でもお話ししましたが、いんねんというと、悪いイメージが沸きますが、「元のいんねん」とは「陽気ぐらし」をする事です。しかし、良き因縁が良きこととして、悪しき因縁が悪しきこととして、現れてくるという事は、この天理教の教理でもしっかりと教えって頂いています。

 また、「かしもの・かりものの理」の根本にあるのが、心一つが我がの物という事ですので、今世の生き方は魂に刻まれ、来世に引き継がれるという事です。ですから、それを考えますと、今見せられている良きことも悪しきことも、前世、前々世と魂に刻まれた事柄が現れてきているという、時間、時空を超えた、つまりは「目に見えない世界」が「目に見えている世界」に影響していることを自覚しなくてはならないのかと思います。

 といいましても、これはなかなか心に納める事が難しい事でもあるかと思います。また、これは今までの月次祭で何度かお話しさせて頂いておりますが、人から言われて気づくのではなく、自分で気づかせて頂く事が大切かと思います。しかしながら、人から気づかされた事に関しても、その場で「はらをたてたり」「うらんだり」「にくんだり」せず、それはそれで、自分で納得できるように思案をしなくてはならないのかと思います。

 おさしづでは、様々な身上や事情についての伺いに対して、親神様からの様々なお諭しがありますが、これらは、直接的な言葉でない事が多いです。人間で例えると色々と誤解が生じても困りますので、「からす」に例えてお話しさせて頂くと、例えば「からす」が自分の姿を「黒く醜い」と思い、親神様に「私は黒く醜くいでしょうか?」と伺うと、親神様は「そうだな醜いな」とか「いや、全然そんな事はない醜くないよ」という肯定も否定もしないです。では、どのように諭されるかというと「お前は、空を飛べて上から世界を見渡せて、好きなところに行けて結構やなぁ。山に帰れば7つの子が、お前の帰りを待ってくれていて結構やないか」というようなお諭しを下さるわけです。つまりは、無いものやコンプレックスばかりを不足に思うのではなく、今、与えられている物を結構やありがたいと思わないといけない。とお諭し下さるのではないかと思います。ですから、おさしづでは、その時の状況、周りの環境などを考慮しないと、現在の我々が拝読した際に、どういう事を言われているのか理解が難しいものも少なくありませんが、その当時の人からすると、様々な状況から心に思う事があり、そのお諭しを胸に思案して、心の切り替えが出来たのかと思います。

 しかし、普段生活をしていますと、起きた事象をなかなか喜べない時もあります。例えば、料理の際に指を切ってしまった時、血が出て痛いですし、その後もヒリヒリと痛みが続きます。その時に、「あぁ~毎日おつとめもしてるし、ほこりも積まないように頑張ってるのに、なんでこんな怪我をするんだ?」と思うのではなく、かといって「あぁ~指が切れて結構や」と喜びなさいというのではなく、例えばですが、指が無くなるような大難を、5回の切り傷で少しずつ分けて見せてくれて小難にしてもらったのだと喜ばせてもらう。また、「なぜこのような怪我をするのだろう?皮膚を切ったのだから、つなぎの「くにさずちのみこと様」の御心にかなわない心遣いがあったのではないか?」と心の切り替えが出来る事を喜ばせてもらう。また、この心の切り替えが完璧にできたなら、それによって「つなぎ」の事情や身上に対するご守護を頂けるようになった、という事に喜ばせてもらわなくてはならないのかと思います。

 また、今現在、教内ではお戻しになる教会名称が沢山あります。これも「あぁ~お戻しになって結構やなぁ~」と思う人はいないですし、その事自体を喜ぶことはできません。では、どのように喜びに変えないといけないのか?やはり、この大きな事情を皆で談じ合って、今までの何が悪かったのか?親神様は何を伝えたいと思っているのか?ということを考える事が出来る、また成人できる事が大切であり、それを喜びとしなくてはならないのではないかと考えます。

 そして、これら前世、前々世から、また今世の因縁を納消するために親神様に教えられている大切なことは、「おつとめ」であり「おたすけ」であるかと思います。日々、少しずつ積もるほこりを、毎日のおつとめで払い、また、「人たすけたら、わがみたすかる」と教え頂くように、今お話しさせて頂いた通り、自分自身の心の切り替えをさせてもらい、人を助ける「心」と「行い」が出来るようにならせて頂く事が大切かと思わせて頂きます。

お悩み相談を受け付けています

夫婦や家族、職場の人間関係、子育てや病気など、誰かに聞いてもらいたいけど、身近な人には打ち明けられない。そんなお悩みを聞かせて下さい。
相談は無料です。

相談者:教会長
メンタル心理カウンセラー資格受講修了 検定試験受験予定
上級心理カウンセラー資格 受講中

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です