2021年11月 月次祭講話要約 ~子を満足させて通るのが親の役目~

講師:柴田正慶(5代会長)

 只今は11月の月次祭を結構につとめ終えさせて頂きました。ありがとうございました。

 少々お時間を頂戴してお話しお取次ぎさせて頂きたいと思います。

 本日の祭文にも記させて頂きましたが、現在、新型コロナウイルス感染症拡大が少しずつではありますが、収まりをみせています。しかしながら、まだまだ油断を許さない状況ではありますので、これで安心というわけではありませんが、確実に感染者数が減少してきています。減少した理由を世間では、1. ワクチンによる効果によるもの。2.過ごしやすい気候になり、外に出る機会が増え室内で密になる事が減少した。3.お盆休み、シルバーウィークなど大型連休がなく、感染拡大の要素が無くなった。4.夜間の人手の減少。5.病院の受け0入れが出来ず、自宅療養の方が増え、そしてご自宅でお出直しになるなどの報道が大々的にされ、医療危機が伝わり各自が自粛するようになった。というような理由が言われています。

 しかし、我々よふぼく一同はそのような考えではなく、祭文にも記した通り、毎月1日にご本部で執り行われた「お願いづとめ」に、日本全国、さらには世界各地のお道に通じる方々が、心を合せてつとめた姿を親神様がご覧になりお鎮め頂いたのであると悟らせていただくのであります。当教会でも5月から1日正午きっかりに心を合せてお願いづとめをつとめさせて頂きました。

 収まりをみせていますが、この大きな節に見せられた事を、感染が収まったから良しとして風化するのではなく、やはりこの時に思った事、また心に定めた事を胸に、「にち々」通らせて頂かなければならないのだと思わせて頂きます。「おふでさきに」は、「月々」という言葉は1回だけ出てきます。「年々」という言葉は出てきません。そして「にち々」という言葉は62回も出てきます。ですから、この時に定めた心も「月々」や「年々」ではなく、「にち々」実行する事が大切なのではないかと思わせて頂きます。我々、人間からすれば親神様は親にあたります。親はやはり子供が可愛と思うわけです。ですから今回の節も、間違った道に行かないようにとの思召しから、お見せになったのであると思います。

 話しは少し変わりますが、我々も親でありますし、子から親になっていきます。人の親、理の親など様々な立場での親がありますが、11月の「みちのとも」に掲載されています、この月のおさしづに『親という、不精して育てる。子が満足して親という。どんな事も、成らん処育てるのが親の役、親が腹を立てゝはどうもならん。これをよう聞き分けてくれ。』とあります。このおさしづの意味も拝読させて頂きますと、『無精(不精)」とは、辞書に「精を出さずになまけること。面倒くさがること」とある。聞き分けの良い子供と聞き分けの悪い子供がいれば、聞き分けの良い子供ばかりを重用し、聞き分けの悪い子供を隔てがちになることはないだろうか。この道は、それではいけないとの思召しである。ほかに「親が怒って子供はどうして育つ。皆、をやの代わりをするのや。満足さして連れて通るが親の役や」(明治21年7月7日)ともお示しいただく。常に一れつ人間を育まれる「をや」のお心に照らして「育て」の御用に努めたい。』とあります。

 先日、瀬戸内寂聴さんがお出直しになりました。寂聴さんは「人は愛するために生まれてきたのだと」いう言葉を残されています。この愛は夫婦の愛、親子の愛、人と人の関係によって、この愛も気持ちも形が変化するのではないかと思います。子供は親に愛情を求め、それに対して親に対する愛が生まれ、親は子供に愛情を注ぎ、そして子供に対する愛が生まれるのではないかと、私は思っています。これがどちらか一方通行では、やはり上手くいかないという事が出てくるのではないかと思います。

 今回の新型コロナウイルスにより、この愛情が薄れてきたという話も沢山聞きます。子供への虐待、夫婦の離婚などなど、心の不調をきたす人が多くいたのではないかと思います。しかし、この時だからこそ、人との繋がりを見直して、親子間でも夫婦間でも「あたりまえ」と思っていたことが「あたりまえではなく」、「ありがたい」ことであったと思い、そして相手に対して感謝の気持ちを持つことが大事であり、また、それを思うだけではなく、さらに言葉に出して相手に伝える事が大切なのではないかと思います。それにより、喜べない事でも「ありがとう」という感謝の言葉を表すことで、だんだん言葉に心もついてくる事もあるのではないかと思います。

 ある幼稚園で食事の前に「いただきます」を言わない、言わせない園があると聞きました。その理由を読みますと、「子供が本当に、ありがたい感謝の気持ちを持つまでは、無理に「いただきます」を言わせなくても良い。子供本人が本当に感謝の気持ちを持ったときに「いただきます」をいうようになれば良い」という理由でした。申し訳ないですが、私は間違いであると考えました。先ほどもお話した通り、言葉に心がついてくることも沢山あると思います。子供は何もわかりません。その子供に感謝の言葉を教え、そして食事がどのように自分の口に入るのかを教えて、感謝の心を教えていくことも親の、または大人の役割であると思います。

 10月の月次祭でもお話しましたが、いつも「おかげさまで」という気持ちで、当たり前を当たり前と思わず、「にち々」感謝の気持ちをもって「ありがとう」を口癖に、心の切り替えをして、今よりももっともっと「にち々」喜んでお過ごしいただければと思います。それが、「元のいんねん」である、「陽気ぐらし」への道であると私は思っています。

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相談者:教会長
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