100周年記念祭を盛大に開催

 2024年7月14日(日)に、名古屋大教会若先生ご夫妻、世話人先生、上級会長様ご夫妻、上川支部長のご臨席を賜り、さらに名古屋系統の教会長さん、教会役員さん、ようぼく信者さんにご参拝頂き、北旭道分教会100周年記念祭を盛大に執り行いました。

 当日は、7月の月次祭を一手一つに心を合わせてつとめさせて頂き、若先生より「喜び心」をテーマにご講話を頂戴しました。

 100周年記念祭の最初を飾ったのは、天理Niko Niko Dream Bandの鼓笛演奏でした。若先生ご夫妻にもサプライズゲストとして演奏に加わって頂き、場は一気に和やかな雰囲気に包まれました。前列では小さいお子さんが可愛い衣装を身にまとい、ポンポンを持って一生懸命踊る姿に、次第に会場からは手拍子が鳴り皆さん応援して下さいました。

 次に教会の100年の歩みを写真と共に振り返り、当時の教会の様子や、ご参拝下さった方々の若りし頃のお姿、また今は亡き先人の方々のお顔を拝見しながら、皆さん様々な想いを語り合いました。
 最後は「ここは親里」を皆さんで熱唱して、記念祭は終始和やかな雰囲気に包まれながら終了しました。

【教会の設立までの道すがら】

 当教会は、大正6年7月頃、現上級教会の高清水分教会初代会長である熊谷源助氏が、宮城県より北海道開拓のため移住した信者宅を拠点に布教を始められ、病で苦しむ方々の沢山の不思議な救けのご守護頂き、次第に信者の数が増えていきました。その後、教祖40年祭の年祭活動に入り、各教会長は自教会へ戻って布教をするようにと、御本部からの御通達を頂き、源助氏はやむなく宮城県に戻られました。しかし、北海道に多数の信者が居るため、当時、高清水分教会役員であった熊谷健次郎氏が派遣されました。健次郎氏は源助氏の遺志を受け継がれ、講社祭、においがけ・おたすけに邁進し、信者一同をまとめらました。

 教祖40年祭活動半ば、教会倍加運動の最中、健次郎氏をはじめ信者一同も一手一つに心を合わせて教会設置に意欲を燃やしました。教会設置は敷地も建物もないところから始められましたが、建物は信者よりお借りして、敷地は1年40円で20年間借りる事となり、大正13年10月30日に旭道宣教所として設置の願書を提出され、11月6日に目出度く熊谷健次郎を初代所長として、宣教者の理のお許しを頂きました。

 御本部より、旭道という名称は京都にも同じ名称があるため改称するようにとの御通達を頂き、所長と信者で相談され、北海道であるから北を付けて北旭道にしようと相談がまとまり、昭和9年1月30日に旭道宣教所から北旭道宣教所として改名されました。

 

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