2022年11月月次祭講話要約 教祖140年祭への三年千日「諭達第4号」~自身の年祭活動~

講師:柴田正慶(5代会長)

只今は11月の月次祭を無事つとめ終えさせて頂きました。御参拝下さった皆様、誠にありがとうございました。少々お時間を頂戴してお話を取次ぎさせて頂きたいと思います。

先月の10月26日に教祖140年祭の3年千日を迎えるにあたり、真柱様より諭達第4号が御発布されました。この日、真柱様は月次祭終了後に南礼拝場の東廊下で車椅子を降りられて、ご自身の足で上段まで歩かれ、演台の前に座られて、真柱様自ら諭達をお読みくださいました。私自身も真柱様のお声を聞かせて頂いたのは数年ぶりで感慨深く、周りからはすすり泣きが聞こえておりました。只今から諭達を拝読させて頂きますが、その前に真柱様からのお言葉を先にお伝えさせて頂きます。

真柱様は諭達拝読後に「年祭を務める意味は昔から変わらないのであります。勤める人の気持ちは、定命を縮めて身をかくしてまでも子供の成人をお急き込み下されたをやの思いを思い起こして、年祭を目標に仕切って成人の道を歩み、その実をもってお応えしようと勤めてきたことにおいては変わりがなかったし、その基本精神は今後も変わってはならないと思うのであります。年祭を勤める意味は変わりません。しかし、時の流れとともに、年祭を勤める人の顔ぶれは多少なりとも変わっていく中で、当然のことながら、年祭の意味や、どういう気持ちで勤めるかわからない人もいる。全教が心を揃えるためにも、知らない人は年祭の意味を知り、そして親の思いに沿わせてもらおうと積極的に歩む気持ちになってもらう、そのための材料として諭達を利用して頂ければと思います。」とのお言葉でした。

それでは、諭達第4号全文を拝読させて頂きます。

諭達

諭達に掲載されている「おさしづM22.11.7」の前後のお言葉ですが、「五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れというのや。千日の道が難しいのや。ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。ひながたの道がどんな日もある。ひながたの道にはいろ々ある。誠の道も蒔いた事がある。」とあります。親神様は、我々人間に教祖ひながたの50年を通れと言っているのではない、30年20年10年も通れと言っているのではありません。10年のうちの3年、わずか千日の道を通れとおっしゃっています。その千日の道が難しいけども、教祖ひながたの道しかないとおっしゃっています。また、ひながたの道は色々とあると。この教祖ひながたについては、10月27日に青年会総会が開催され、その中で大亮様のお話の中で「教祖ひながたと言っても、人によってイメージするものは様々です。ですから教祖ひながたとは何か?という問いが大事だと思います。(略) 辿るという言葉には2つの意味があります。1つめは物事がある道筋を進んでいく。2つ目の意味は探り求めていくという意味です。私はこの2つ目の意味を知った時、教祖のひながたを辿るということは、ただ教祖がなされたことを真似をするということではなく、なぜその一つ一つの事柄をなされたのか。教祖、親神様の思いがどこにあるのか探り求めて、それを自分に落とし込んで、今自分に何が出来るのかという行動に移していく。これこそが教祖ひながたを辿るという事だと感じました」とお話くだされました。また、本年より名古屋大教会の世話人となられました増野正俊先生から、9月の大教会月次祭の講話では、「諭達にこもる思召しをしっかりと咀嚼して、それぞれの信仰の段階に応じた次のテーマを年祭活動のテーマとして提案していくという作業が必要かもしれない。メニューを10ほど用意しておいて、貴方どれしますか、どれならできますか、と見て頂いて、これならできます、いやこれはいつもしているじゃないですか、せめてこのぐらいいけませんか、といって成人を促しながら決めてもらう。ではこれやります、よし、じゃああなたの年祭活動はこれで行こう、といって私は神様にお願いしておくからと理を我々が添えさせて頂いたら、それが立派なその人の年祭活動になって、それでいいんだと思えば腰が上がるし、年祭に向けて勇んで3年を通ることができるようになってくる。」とお話を頂きました。

私自身も教会長になって初めての教祖年祭でありますので、真柱様がおっしゃったように、どういう気持ちで勤めたら良いかわからないというのが本音であります。諭達に掲載されている「おさしづ」の最後には「3年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった3日の間や」とのお言葉があります。また、同年の明治22年7月31日のおさしづには「寄り来る処、日々種を蒔く、一つ種を蒔く。旬々の理を見て蒔けば皆実がのる。旬を過ぎて蒔けばあちらへ流れ、遅れてどんならん々、とんとどんならん。」とのお言葉があります。旬を見逃さず、その旬に種を蒔けば実がのる。旬を逃せば実がのるのは遅れてしまうというおさしづです。

この教祖140年祭の3年千日を旬として、教祖ひながたを探り求めていき、今の自分にできる事を精一杯にさせて頂く事が、年祭活動を勤めるという事であるかと思います。そして、この旬を逃さず年祭活動をしっかりと通れば、親神様がそれに応じたご守護を頂けるとの事であると思います。私自身も皆様と勇んでお通りさせて頂ければと思います。どうか、この3年間些細な事で結構ですので、今より心をもう少し親神様の方へ向けて頂き、心を定めて頂ければ幸いです。

どうぞ宜しくお願い致します。

本日は、誠にありがとうございました。

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相談役:教会長 柴田正慶
 上級心理カウンセラー資格
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2022年11月月次祭講話要約 教祖140年祭への三年千日「諭達第4号」~自身の年祭活動~” に対して2件のコメントがあります。

  1. 小野﨑宰 より:

    11月月次祭講話要約、読ませてもらいました。
    年祭への決意のほどが、良く分かりました。年祭活動の門、しっかり捉えられていて素晴らしいです。
    お互いに、益々の成人を目指しましょう。3年後、教祖にご安心して頂けるような姿を目指して…

    1. kitakyokudo@gmail.com より:

      小野崎先生
      コメントありがとうございます。
      また、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

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