2026年8月月次祭講話「心のキャッチボール」
立教189年8月 月次祭講話 要旨 講師:柴田正慶
本日は、皆さまとともに8月の月次祭を勇んでつとめさせていただけたことを、心から嬉しく思います。ご参拝いただきました皆さまに、心より感謝申し上げます。
本日は、「心のキャッチボール」について、お話をさせていただきます。
先月、「心のキャッチボール」というタイトルで、リーフレットを作成して、地域のお宅へ配布をさせていただきました。まずは、このリーフレットを皆さまと一緒に拝読させていただき、その内容に込めた私の思いをお話させていただきます。
最近、「人とのつながりが希薄になった」という言葉を耳にすることがあります。インターネットやSNSによって、遠く離れた人とも簡単につながれる便利な時代になりました。その一方で、隣に住んでいる人の名前を知らなかったり、家族であってもお互いの気持ちが分からなかったりすることがあります。
家庭でも、「どうして分かってくれないんだろう?」
職場でも、「自分はこんなにやっているのに!」
そんな思いから、少しずつ心が離れてしまうことがあります。
そんな時に思い浮かべたいのが、「心のキャッチボール」です。
キャッチボールは、一人ではできません。そして二人が向かい合っていても、お互いに「相手が先に投げてくれたら、自分も投げよう」と思っていては、いつまでたっても始まりません。誰かが最初の一球を投げることで、初めてキャッチボールが始まります。人との関係も同じではないでしょうか。
「挨拶をしてくれない」と思う前に、自分から挨拶をしてみる。
「ありがとうと言ってくれない」と思う前に、自分から「ありがとう」と伝えてみる。
「誰も気に掛けてくれない」と思う前に、自分から「大丈夫ですか」と声を掛けてみる。
そんな小さな一球から、人と人との心がつながっていくのだと思います。
ただ、「自分から一球を投げましょう」と言っても、それが簡単にできる人ばかりではありません。人間関係で傷ついたことがある方もいるでしょうし、人と話すこと自体に勇気が必要な方もいます。ですから、大きな一球でなくてもいいと思うのです。声を掛けることが難しければ、笑顔を向けてみる。それも難しければ、相手から挨拶された時に笑顔を返してみる。何もできない時には、「この人が今日一日、無事に過ごせますように」と心の中で願う。それも一つの「心の一球」ではないかと思います。
そして、キャッチボールには、もう一つ大切なことがあります。それは、「相手に合わせて球を投げる」ということです。例えば、3歳の子どもとキャッチボールをする時に、3歳の子どもに向かって、大人が上から全力でボールを投げるでしょうか。恐らく、そんなことはしないと思います。子どもが受け取りやすいように、近くから、下から、山なりに、ゆっくりと投げるのではないでしょうか。では相手が20歳で、野球経験も十分にある人だったらどうでしょう。今度は上からしっかり投げて、ミットが「パンッ」と音を立てるくらいの球を投げると思います。同じキャッチボールでも、相手によって投げ方も、速さも、距離も変わります。それはなぜかというと、「相手が受け取れる球を投げる」ためです。これは、人との心のキャッチボールも同じだと思うのです。
自分では、「正しいことを言った!」「この人のためを思って言った!」と思っていても、それだけでは十分ではないことがあります。「相手が今、どんな気持ちなのか?」「どんな言葉なら受け取れるのか?」「今は強く背中を押した方がよいのか?」「それとも、何も言わずにそばにいた方がよいのか?」
元気な人には励ましになる言葉が、心が弱っている人には苦しい言葉になることもあります。
大人には伝わる言葉でも、子どもには伝わらないことがあります。
同じ言葉でも、相手によって受け取り方は違います。
だからこそ、「自分が何を言いたいか」だけではなく、「この人は、どんな球なら受け取れるだろう?」と考えることが大切なのだと思います。相手のことをよく見て、その人が受け取りやすい球を投げる。それこそが、本当の思いやりではないでしょうか。
天理教では、親神様が人間をお創りくだされたのは、私たちが互いにたすけ合って「陽気ぐらし」をする姿をご覧になり、ともに楽しみたいとの思召からであると教えていただきます。
そして、私たちがお借りしている身体を考えてみますと、本当によくできています。
- 目は、自分ではなく、人の方を見ることができます。
- 耳は、人の声を聞くことができます。
- 鼻も口も、人の方を向いています。
- 手は、人の手を握り、人をたすけることができます。
- 足は、困っている人のところまで歩いていくことができます。
考えてみれば、私たちの身体のほとんどは、自分自身に向いているのではなく、相手の方に向いています。まるで、「この身体を、人のためにも使いなさい」と、親神様がお教えくださっているようにも感じます。
- 目で相手の様子を見る。
- 耳で相手の話を聞く。
- 口で人を勇ませる言葉を掛ける。
- 手で困っている人を手伝う。
- 足で必要としている人のところへ出向く。
そして大切なのは、この目と耳で相手をよく見て、よく聞くからこそ、その人に合った一球を投げることができるということです。
お借りしている身体を使って周りの人を喜ばせていると、少しずつ人とのつながりが生まれてきます。
「あの人にはいつも助けてもらっている」「あの人が困っているなら、今度は自分が力になろう」
そう思ってくださる人が、一人、また一人と増えていきます。
自分のことばかりを考えるのではなく、人のために身体を使わせていただく。すると不思議なことに、自分が困った時には、周りの人が手を差し伸べてくださる。そこに、たすけ合いの姿が生まれてくるのだと思います。
ただし、「人に親切にすれば、自分も助けてもらえる」という見返りを求めてはいけません。一球投げても、返ってこないこともあります。挨拶をしても返事がない。親切にしても「ありがとう」と言ってもらえない。それでも、「してあげた」のではなく、「させていただいた」。お借りしている身体を人のために使わせていただけたことを喜ばせていただく。そんな心で通らせていただきたいと思います。
そして、自分が苦しい時には、無理をして球を投げなくてもいいと思います。
誰かが投げてくれた一球を、「ありがとう」と受け取らせてもらう時があってもいいと思います。
元気な時には誰かに投げる。苦しい時には、誰かの一球を受け取る。そして投げる時には、相手が受け取れる球を投げる。それが「心のキャッチボール」ではないでしょうか。
そして、少し視野を広げて世界を見てみますと、今もなお、世界の各地では争いや紛争が起こっています。もちろん、国と国との問題はとても複雑で、簡単に解決できるものではありません。しかし、その根底に「自分たちが正しい」「自分たちさえ良ければいい」という心が強くなり、相手の立場や思いに耳を傾けることができなくなった時、争いはさらに深まっていくのではないかと思います。反対に、「相手は今、何を思っているのだろう」「どんな球なら受け取ってもらえるだろう」と、相手の立場に立って考える「心のキャッチボール」ができれば、たとえ考え方や立場が違っていても、相手を傷つけるのではなく、互いに歩み寄る道を探すことができるのだと思います。私は、一人ひとりが相手を思いやる心を持つこと、その小さな積み重ねが、やがて争いのない世界にもつながっていくと信じています。
陽気ぐらしとは、自分一人が楽しく暮らすことではありません。互いに思いやり、たすけ合い、喜び合って暮らす世界です。その第一歩は、決して大きなことではありません。笑顔で挨拶をする。「ありがとう」と伝える。相手の話を聞く。困っている人に手を差し伸べる。
そして、「自分は何をしてあげたいか」ではなく、「この人は今、何を必要としているのだろう」と、相手の立場に立って考えてみる。私たちは親神様から、目、耳、口、鼻、手、足と身体をお借りしています。
この身体を、自分のためだけではなく、人を喜ばせるためにも使わせていただく。「してもらう心」から「させていただく心」が大切なのだと思います。そして、自分にできる小さな一球を、相手が受け取りやすいように心を込めて投げていく。その心のキャッチボールが、家庭から、職場へ、地域へと広がり、やがては親神様がお望みくださる陽気ぐらしの世界へとつながっていくと信じています。
我々も、今お話させていただいた心で、日々を通らせていただきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。


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