2026年4月月次祭講話

 立教189年4月 月次祭講話 要旨 講師:柴田正慶

 本日は皆さまとともに4月の月次祭を勇んでつとめさせていただけたことを、心から嬉しく思います。ご参拝いただきました皆さまに、心より感謝申し上げます。
 
 本年1月から3月まで、修養科1015期102組の副担任として、教祖のお膝元・おぢばにて務めさせていただきました。教祖140年祭という旬の時期におぢばで過ごさせていただけましたこと、また一期講師という大役を仰せつかりましたことは、私にとりまして大変光栄であり、忘れることのできない年祭となりました。また、私が留守にいたしました3ヶ月の間、北旭道分教会に対しまして皆様方より温かいお心遣いを頂戴し、教会に住み込んでいる方々をはじめ、皆様方に支えられ、3ヶ月の間、教会が無事無難に通らせていただきました。誠にありがとうございました。
 修養科では様々な出来事がありましたが、私にとって大変有意義な期間でありました。特に修養科生の皆さんは様々な身上や事情を抱えて志願されています。その中で、心が前向きに切り替わっていかれる姿を見守らせていただき、そして何より、身上が治り、事情を納めていただくご守護を目の当たりにして、本当に修養科は素晴らしいところであると感じました。
 いくつか例を挙げますと、①三ヶ月の間に腫瘍が消えてなくなった。②精神的に悩みのある方が三ヶ月の間に心の向きが変わり、ご守護いただく姿を見せていただいた。③最初は車いすで来られた方が、途中から杖をついて歩かれるようになり、最後には杖なしで歩いて帰られた方もいました。
 親神様の教えで病は、「心の埃」によるものと、もう一つは親神様の「手引き」であると教えられています。親神様は人間に陽気ぐらしをしてもらいたい。また、他人も勇まして互い立て合いたすけ合って通って欲しいという思し召しによる深い慈愛であります。
 長い人生、良い時もあれば悪い時もあります。もし、皆様方も悪い時が長く続き悩まれることがあれば、ぜひ修養科を志願していただければと思います。必ず、次に進むべき道が見えてきますし、必ず身上も救けていただけます。

さて、本日は「選り好みの心」について、少し私の考えをお話させていただきます。

 私たちは日々の生活の中で、知らず知らずのうちに「選り好み」をしています。
 例えば、ひのきしん一つをとっても、「これは楽だからする」「これは好きだからする」
しかし一方で、「これは大変だからやらない」「これは苦手だから避ける」などです。
 このように、自分の都合で物事を選んでしまう心があります。しかし、これは人間ですから誰しもがやってしまいます。ですが、大変だから、嫌だからやらないことは、他人にとっても大変であり、嫌なことです。それを自分がやらないと、他人にさせてしまうことにもなります。
 そして、この選り好みの心はやがて、教えそのものにも向いていきます。
「この教えは自分に合うから取り入れるけれど、この教えは耳が痛いし嫌いだから受け入れない」といったように、「教理の選り好み」が出てきます。しかし本来、教えというものは、自分に都合の良いものだけを選ぶものではなく、自分の心の埃を払い、心を磨くためのものです。ですから、「自分に合うかどうか」で選ぶのではなく、神様にお受け取りいただける心で通ることが大切です。
 さらに、この選り好みの心は人との関係にも現れます。
「あの人は好きだから関わる」「この人は苦手だから避ける」。好き嫌いで分けるのではなく、すべての人との出会いの中に、神様のご用向きがあると考えることが大切です。

教祖殿逸話篇144 天に届く理
 教祖は、明治十七年三月二十四日(陰暦二月二十七日)から四月五日(陰暦三月十日)まで奈良監獄署へ御苦労下された。鴻田忠三郎も十日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて教祖の御前にもどると、教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」と、お尋ね下されたので、「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」と、お諭し下された。

 この逸話から分かることは、何をするかではなく、「どんな心で通るか」が大切だということです。
 例えば、大きな荷物を持っているご高齢の方に対して、その荷物を持つのを手伝ったとします。その時に、「荷物を持ってやった」と思うのか、それとも「荷物を持たせていただいた」と思うのとでは、同じ荷物を持つ行いでも、天に届く理が違ってくるということです。
 どちらが良いかは、あえて申し上げなくても、皆様それぞれにお分かりのことと思います。

 楽なこと、好きなことだけを選んでいては、心の成人は進みません。むしろ、自分にとって苦手なこと、嫌だと思うことの中にこそ、神様からの働きかけがあるのだと思います。
 私たちの身の回りの出来事は、偶然ではありません。好きなことも、苦手なことも、関わる人も、出来事も、すべて神様のご用向き、手引きです。そう思えたとき、「これはやりたい」「これはやりたくない」という選り好みの心は、少しずつ薄れていくと思います。

 我々人間は、「ひのきしんの選り好み」「教えの選り好み」「人の選り好み」をしてしまいがちです。その根本には「自分中心の心」があるのではないかと思います。我さえ良ければという「利己的な考え」、今さえ良ければという「刹那的な考え」です。それを、「神様のために」「人のために」という心に切り替えていくことが大切だと思います。どんなことでも、「これは神様のご用向き」「させていただこう」という心で通らせていただく。そうすれば、すべてが結構な理となって天に届いていきます。どうか皆さんも、選り好みをせず、何事も結構と受け取って通って下さい。

 今月29日は「全教一斉ひのきしんデー」です。我々の身体は親神様からのかりものです。この身体を、他人によろこんでもらうために使わせていただき、勇んでつとめさせていただきましょう。

 ご清聴ありがとうございました。

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相談者:教会長
メンタル心理カウンセラー資格受講修了 検定試験受験予定
上級心理カウンセラー資格 受講中

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