2026年7月月次祭講話「胸と口とがすなとすいの」

 立教189年7月 月次祭講話 要旨 講師:柴田正慶

 本日は皆さまとともに7月の月次祭を勇んでつとめさせていただけたことを、心から嬉しく思います。ご参拝いただきました皆さまに、心より感謝申し上げます。

本日は、「胸と口がすなとすいの」について、お話をさせていただきます。

 現在、北海道教区布教部では、本部員の上田嘉世先生による「おふでさきを学ぶ」を開催させていただいております。先日7月2日には、北海道教務支庁に上田先生をお招きし、おふでさき第3号の解説を直々にしていただきました。私も司会を務めさせていただき、様々なお話をお聞かせいただきました。その中から本日は、一つ、「胸と口がすなとすいの」について教えていただいたことを、お話しさせていただきます。

おふでさき第3号に、

このはしら はやくいれよと をもへども にごりの水で ところわからん 三・9

この水を はやくすまする もよふだて すいのとすなに かけてすませよ 三・10

このすいの どこにあるやと をもうなよ むねとくちとが すなとすいのや 三・11

このはなし すみやかさとり ついたなら そのまゝいれる しんのはしらを 三・12

はしらさい しいかりいれた 事ならば このよたしかに をさまりがつく 三・13

と、親神様は、人間の心の汚れを泥水にたとえて、分かりやすくご説明くださったお歌であります。

 つまり、心が泥水のように濁っているのであれば、真の柱を入れようがないという、厳しいお仕込みであります。ここでいう真の柱とは何かといいますと、物では「かんろだい」であり、人では「初代真柱様の眞之亮様」のことを指していると解釈されております。このおふでさき第3号がご執筆されたのは、明治7年1月からとなっていますので、この頃には「かんろだい」の模型はできていましたが、まだ「ぢば」は定まっていなかったのであります。また、中山家の後継者であり、お道の真柱として、櫟本の梶本家の三男であった眞之亮様に決定していましたが、まだおぢばに定住されていなかった時期でもあります。

 この二つの真の柱を入れようと思っても、周りの者は親神様の思召しが分からず、それぞれが自分勝手な考えを抱き、皆の心が一つになっていなかったことを仰せられたお歌であります。ですから、真の柱を入れるためには、泥水のような心を澄ませて通らなければならないわけですが、この泥水をきれいにするために用いるものが、「すいの」と「すな」であると教えていただいております。

 「すいの」とは、水嚢というろ過袋のようなものであり、「すな」は砂、つまり、ろ材であります。砂を用いて泥水をろ過し、きれいな水に澄ませるということであります。そして、人間の心の汚れをきれいにする「すいのとすな」が、「胸と口」であると教えていただいています。胸と口は「悟り諭し」の意と、おふでさきの注釈にもあります。上田先生は、「口」は親神様の諭し、つまり、親神様の思召しを人に諭し伝えることであり、「胸」は人間の心の悟りであるとご説明くださいました。そして、その二つを合わせることが大切であると教えていただきました。

 つまり、人に諭し伝える親神様の教えが、自分自身の胸にも納まっていることが大切だということであり、いろいろと立派なことを諭していても、自分自身がその諭しと同じように行動していなければならないということであります。また、我が身かわいいの心で、人には厳しく、自分自身には甘いという考えでは、心を澄ますことができないということでもあります。

さらに、おふでさき第3号に、

せかいぢう むねのうちより しんばしら 神のせきこみ はやくみせたい 三・51

せかいぢう むねのうちより このそふぢ 神がほふけや しかとみでいよ 三・52

とあります。

 心を澄ませることで、この世は確かに治まりがつくということであり、親神様自らが箒となって、人々の心の埃を掃除してくださると説かれています。しかし、それは、人間が何もしなくてもよいという意味ではありません。私たちが親神様の教えを実践することで、親神様が心の埃を取り除いてくださるのであり、人間には、教えを実行することが求められています。

 私がおたすけさせていただいた青年さんも、私の力でお救けしたのではありません。私の心を親神様がお受け取りくださり、親神様が箒となって青年さんの心を掃除してくださり、お救けいただいたのだと思います。上田先生のご経験談でも、問題行動を起こしていた一人の青年が、教会の奥さんの心定め一つによって、お救けいただいたというお話を聞かせていただきました。私たちが親神様の思召しに沿った澄んだ心で通ることで、親神様が箒となってご守護くださるということであります。これは本当に素晴らしいことであり、ありがたいことであります。

 少し話は変わりますが、今、サッカーのワールドカップが行われています。現在はベスト4まで決まり、スペイン、フランス、アルゼンチン、イングランドが残り、これから準決勝、決勝へと進むわけであります。皆さんもご存じだと思いますが、アルゼンチンには、メッシという選手がいます。この方は「神の子」ともいわれる、世界を代表する一流の選手でありますが、今大会の試合でも、味方選手が打ったシュートを相手キーパーがファインセーブで弾いたボールが、メッシの足元に転がってきたんです。メッシはそのボールを蹴るだけで得点が入ったわけですが、一流のスポーツ選手になるほど、技術や努力だけではなく、運や巡り合わせも大切であることを知っているのではないかと私は思います。ですから、メッシ選手は、長年にわたりユニセフ親善大使を務め、恵まれない環境にある子どもたちへの支援活動にも取り組んでいます。また、皆さんご存じの野球の大谷翔平選手も、グラウンドのごみを拾う姿や、相手選手、審判、周りの人たちを大切にする紳士的な行動がよく知られています。大谷選手は、ごみを拾うことを「他人が捨てた運を拾う」と考えているともいわれています。もちろん、寄付をしたり、ごみを拾ったりすれば、必ず試合に勝てるということではありません。しかし、日頃から人のために行動し、自分自身の心を正して通ることが、巡り巡って良い運や巡り合わせにつながっていくのではないかと、私は思います。

 また、王貞治さんは、ご自身が現役を引退された理由について、「王貞治のバッティングができなくなった」と語られています。それまでなら野手のいないところへ飛んでいたような打球が、同じように打っても野手のいるところへ飛ぶようになった、という趣旨のお話が伝えられています。まだシーズン30本のホームランを打つ力がありながらも、ご自身の中では、これまでのような王貞治らしいバッティングができなくなったと感じ、それを引退の一つの要因とされたのだと思います。一流の選手ほど、技術だけではなく、日頃の行いや心の持ち方を大切にし、運や巡り合わせも含めて、自分自身を見つめながら歩んでいるのではないでしょうか。

 スポーツ選手は、それぞれの分野におけるプロであります。そして、私たち天理教を信仰する布教使も、人様に親神様の教えをお伝えし、おたすけをさせていただく、いわば布教のプロであります。布教のプロであるからこそ、親神様の教えを口で人に諭し伝えるだけではなく、その教えを自分自身の胸にもしっかりと納め、自ら実践しなければならないと思います。口で伝える親神様の思召しと、自分自身の胸の悟りを合わせるようにして、親神様の思召しに沿った澄んだ心で通らせていただくことが、大切なのではないでしょうか。私たちがそのような澄んだ心で通ることで、親神様がその心をお受け取りくださり、箒となってお働きくださり、おたすけにもつながっていくのだと思います。

 本日は、心を澄ますために必要な「すなとすいの」について、お話をさせていただきました。

 ご清聴ありがとうございました。

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相談者:教会長
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