2022年5月 月次祭講話要約「教祖の3つのお立場」~2022/11/27 女子青年大会に向けて~

講師:柴田正慶

 本日は土曜日という事もあり、女子青年会員、少年会員の方々が参拝して頂き、5月の月次祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きました。ありがとうございました。

 本日は女子青年さんが多いですので、11月27日に開催される女子青年大会に向けたお話をさせて頂ければと思います。

 今年の11月27日 女子青年大会がご本部中庭で執り行われる予定です。名古屋大教会からも女子青年大会に向けて、稿本 天理教教祖伝逸話篇を毎日1話ずつでも良いので拝読して、女子青年大会までに200話全てを拝読させて頂くようにとのお打ち出しがあり、当教会でも毎日少しずつ拝読をさせて頂いています。

 皆さんは教祖の3つのお立場をご存知でしょうか?

1.月日のやしろ 2.ひながたの親 3.存命の理 が教祖の3つのお立場です。

1つめの「月日のやしろ」ですが、社というと親神様、教祖、霊様の神棚にある社を想像するかもしれませんが、「月日のやしろ」とは、親神様(月日)が人間を創造され最初に産み下ろした子数の年限が到来した天保9年10月26日に、教祖を「月日のやしろ」つまりは親神様が入り込む体として、教祖のお体をやしろとされたということです。そして教祖の口を通して人間創造の説話を教えて頂いたわけです。この「月日のやしろ」は教祖以外の誰でも良かったわけではなく、教祖でなくてはならなかったのです。それは教祖の魂は人間創造時に人間を宿し込み、人間を産み下ろされた「いざなみのみこと様」の魂であったかたです。最初に産み下ろした子数の年限である時と、ぢばという人間を宿し込まれた場所と、いざなみのみこと様の魂の、3つの因縁が揃い教祖が月日のやしろとなられたのです。

 次にひながたの親とは、この天理教の教えは教祖が50年にわたり、今お話した「月日のやしろ」として、親神様の思召しを私たち人間にお伝えくだされたばかりでなく、自ら身をもって、たすけ一条の手本をお示しになったわけであります。その道すがらを「ひながたの道」と呼び、教祖を「ひながたの親」とお慕いしているわけであります。

 そして、存命の理とは、教祖の現身は隠されただけで、そのお働きは現身を隠される前と変わらずご守護下されているという事です。

 まだ、教祖がご存命の時代に、この様な話があります。

 大阪で商いをしていたある商人が、毎日夜になるとその日の売り上げを帳面に付けており、その際に出た端数の小銭をとっておき、朝になると店の前にいた貧しい方にその小銭をほどこしていました。そのうち、それが噂になり朝になるとお店の前には、貧しい方達が列をなして待っているほどになったのです。そんなある日、商人は九州に用があり瀬戸内海を航海していたのですが、その船が遭難して沈没してしまいました。その中ただ一人生き残り、やっとの思いで近くの無人島にたどり着きました。暖かい季節だったので気温には恵まれていたのですが、食事はどうにもなりません。しかし毎朝、浜辺に行くと小魚が打ち上げられていたので、その魚を焼いて食べて、なんとか飢えをしのいで暮らしていました。数日後、たまたま近くを通りかかった船に助けてもらい、商人は無事大阪に帰る事が出来ました。その後、教祖にお目通りする機会があり、教祖から「よう帰ってきたな。あなたは私の可愛い子供たちに毎朝、小銭をほどこしてくれていましたね。御礼を申し上げます。その御礼は少し返しておきました。」と教祖がおっしゃたので、商人は「なんの事か?」と思うと、教祖は続けて「無人島で浜辺に毎朝小魚が打ち上げられていたでしょ」とおっしゃったのです。

 このように、教祖は全て見抜き見通しで、何処にいるのか?と考えますと、教祖殿におられるのか?いやいや、教祖は私を含め皆さんのすぐ傍にいらっしゃって、見守って下さっているのです。それは現身をお隠しになった今も変わる事なく、存命の理をもってご守護下されているのです。

 そんな我々をお守りして下さっている教祖に喜んで頂くために、誰もが出来ることは「ひのきしん」であると思います。毎日、逸話篇を拝読させて頂く事と、「ひのきしん」をさせて頂く事もお願いしたいと思います。外でのゴミ拾いなど大きな事でなくても、教会の神殿掃除やご自宅の掃除、他を楽にさせる事、皆が喜ぶ事であれば「ひのきしん」であると思います。ご自身で何か一つ決めて実践して頂ければと思います。「ひのきしん」は身体をお借りしている感謝を、喜びの形としてする行いですので、「ひのきしん」をしても「しぶしぶ不足心でしたり」、「私はやっているのにあの人はやっていない!」とか「あの人より私の方が多くやってる!」など他と比べて不足したりすると、折角「ひのきしん」をしていても、教祖にお喜び頂けなくなってしまいます。前の話にあるように、損得勘定は神様がすることであって、人が人にする事ではないのかと思います。

 次のお言葉は典日分教会三代会長の増田正義先生のお言葉ですが、

 心を濁らせてしまえば、人の為(ため)にしたことも駄目(だめ)になり、固めた意思(いし)も意地(いじ)になってしまいます。また、人を褒める口(くち)も愚痴(ぐち)になり、折角積んだ徳(とく)も毒(どく)になってしまいます。日々、心を濁さないように綺麗な心でお通り頂き、11月の女子青年に向けて成人して頂ければ幸いです。

 また、6月19日(日)には、毎年恒例の旭山動物園での草刈りひのきしんがあります。
 どうか、皆様お誘いあわせの上、ご参加頂ければ幸いです。

 本日はありがとうございました。

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