2026年5月月次祭講話「いかな心もみなあらハれる」
立教189年5月 月次祭講話 要旨 講師:柴田正慶
本日は皆さまとともに5月の月次祭を勇んでつとめさせていただけたことを、心から嬉しく思います。
ご参拝いただきました皆さまに、心より感謝申し上げます。
本日は、「いかな心もみなあらハれる」というお言葉について、皆さんと共に考えさせていただきたいと思います。
おふでさき第1号44首に、
だん/\とみへてきたならとくしんせ
いかな心もみなあらハれる
とお教えいただいております。
「いかな心もみなあらハれる」ということは、どのような心も、やがて必ず現れてくるということです。私はこのお言葉を通して、親神様は人間の“行動”だけではなく、その奥にある“心”をご覧になっているのだと感じさせていただきます。人をたすけたいと思う「誠の心」も、逆に、自分さえ良ければという「自分本位の心」や「執着や欲の心」も、一時は隠しているように見えても、やがて必ず形となって現れてきます。
M21.3.7のおさしづにも「皆世界は鏡や。心通り皆映してある。」とあります通り、人間の心をこの世に様々な形で映してあるということです。私たちは普段、「人からどう見られるか」という外見や世間体を気にすることがあります。しかし親神様は、そのような外面ではなく、その人の「内面の心」をご覧くださっているということであります。
たとえ立派なことを言っていて能力があっても、その奥に慢心や高慢で人を見下す心があれば、いずれその心は現れてきますし、逆に、不器用であっても、「人をたすけたい」「少しでも誰かの力になりたい」という誠の心があるならば、その真実も必ず現れてきます。
では、その「誠の心」とは、一体どういう心なのでしょうか。
先人の宮森与三郎先生は、「誠とは、心と口と行い、この三つが揃ってこそ誠である」とお話しくださっています。つまり、口でどれほど立派なことを言っていても、行いが伴わなければ、本当の誠とは言えない。また、同じ行いをするにしても、その心の持ち方が大切である、ということだと思います。
例えば、人をたすける行いをしたとしても、「自分が助けてやった」「これだけしてあげた」という心で通ってしまえば、そこには知らず知らずのうちに高慢心が入り込んでしまいます。しかし、「親神様の御用をさせていただいた」という心で通るならば、その行いは神様にお喜びいただける誠へと変わっていくのではないかと思います。宮森先生は、重い荷物を持っている人を助ける例を通して、同じ助ける行いでも、「気の毒だから荷物を持ってやった」と思うのか、「持たせてもらった」と思うのかで、神様からご覧になった時には大きな違いがある、と教えてくださっています。
私は、このお話を通して、誠とは単なる“良い行い”ではなく、「どんな心でさせてもらうか」が何より大切なのだと感じさせていただきます。親神様は、行いだけではなく、その奥にある心もご覧くださっており、その心がやがて現れてくるのだと思います。だからこそ、私たちは、自分の心を日々見つめ直しながら通らせていただかなければならないのだと思います。
また、誠の心で通るためには、何が必要でしょうか。それは「胸の掃除」ではないかと思います。我々は親神様から「おしい」「ほしい」「にくい」「かわいい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」の八つのほこりを教えていただいています。胸の掃除とは、部屋を掃除するように、自分の心の中を見つめ直すことであります。例えば、「執着の心」「自分本位の心」「人情を優先し過ぎる心」「神様より自分の都合を優先する心」など、こうした心のほこりを払わせていただく。しかし、人間ですから、ほこりが出ない人はいませんし、腹が立つこともありますし、人と比べて欲が出て、欲しがることもあります。ですから、「ほこりを出さないこと」ももちろん大切ですが、それでもほこりの心を使った時に、「ほこりに気づき、払おうとすること」が大切なのだと思います。親神様は、完璧な人間を求めておられるのではなく、素直に心を磨こうとする姿をご覧くださっているのではないかと、私は思います。そして、その努力する姿をご覧になって、お喜びくださるのではないかと思います。
そして、その胸の掃除を進める上で大切なのが、「元の理」を知り、「おつとめ」をつとめることだと思います。私たちは、自分の力で生きているように思いがちです。しかし、この身体は親神様からお借りしているものだと教えていただいています。その理を知らずにいると、いつの間にか「自分がやっている」「自分の力だ」という心になってしまいます。けれど、元の理を知れば、全ては親神様のご守護であり、身体もこの世界もみな親神様からの「かりもの」だと気づかせていただけるかと思います。この世界は、人間が住みやすいように、人間の都合の良いように出来ています。これが偶然かというと、そうではないと思います。
だからこそ、おつとめを通して、その理をふることが大切なのだと思います。本日つとめたおつとめは、単なる儀式ではありません。親神様の理をふって、おつとめによって身上を治していただくことも出来ますし、人間の力ではどうにもならない事情も納めていただくことが出来ます。それは、ただ願うだけではなく、誠の心が親神様に届いて、親神様がお働きくださるものです。
「いかな心もみなあらハれる」――このお言葉は、今この瞬間の結果だけを見て判断してはいけない、ということでもあると思います。ですから、誠の心で通っていても、すぐには結果が見えないことがあります。一生懸命尽くしても、報われないように感じることもあります。しかし、誠の心の種は、旬がくれば必ず芽を出し、花を咲かせ、実を結びます。親神様は、その人の心を、ちゃんとご覧くださっています。ですから、外面だけを気にして人に認められるためではなく、親神様にお喜びいただける内面の誠の心で通らせていただく。その積み重ねが、やがて形となって現れてくるのだと思います。
最後に、私自身も、まだまだ胸の掃除ができていないと感じることばかりです。しかし、だからこそ、日々、「この心でよかっただろうか」「自分本位になっていなかっただろうか」と振り返りながら、少しずつでも、誠の心に近づかせていただきたいと思っております。
「いかな心もみなあらハれる」――良い心も、悪い心も、やがて必ず現れます。ですから、誠の心の種を蒔き続け、親神様にもたれて、ほこりの心を掃除しながら、日々を通らせていただきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

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