2022年1月 春季大祭講話要約 ~参拝はお願いの前に御礼を!心の拠り所とは?~

講師:柴田正慶(5代会長)

 只今は春季大祭を結構につとめ終えさせて頂きました。ありがとうございました。

 少々お時間を頂戴してお話しお取次ぎさせて頂きたいと思います。

 改めまして新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 新しい年を無事に迎えさせて頂き、春季大祭を勇んでつとめさせて頂き、ありがたい事であると思います。新年には日本人の多くの方は初詣に行かれるかと思いますが、昨年はコロナ禍であり参拝者が激減したというニュースを耳にしましたが、本年は元旦の際にはオミクロン株がまだ広がりを見せていなかったため、昨年よりは多くの方が初詣に行かれたのではないでしょうか。

 初詣は1年の安全を祈願して参拝されると思いますが、それ以外でも、お願い事がある際には、ご自身が信じる神様に参拝をされるという事があるかと思います。受験シーズンになりますと、勉学の御利益がある神様へ、出産を控えていますと安産の神様へ、恋愛が成就して欲しいと思えば縁結びの神様へ、などなどとお参りするわけであります。

 その際に、皆様がどのような願いをしているかは聞いたことがありませんので、わかりませんが、インタビューなどで「何をお願いされましたか?」と問われると、「受験に合格しますように」とか「だれだれさんと、恋愛がうまくいきますように」などと答えられていますし、ドラマやアニメなどでも同様に心で祈っているシーンを多数お見受けします。

 お願い事をする事が悪い事ではないと思いますが、私は今まで御礼や感謝を述べているシーンを見かけた事があまりありません。私は神様にお願いする前に御礼が先かと思うわけであります。神様が結構にお働き下さっているので、勉強が出来る、恋愛が出来る、子供も授かり、また、その様な環境を整えて下さているのでありますから、まずはその事に感謝して御礼をいう事が先ではないかと思います。目が見える事、聞こえる事、話が出来る事、歩ける事、全てが結構にお働き下さっている事への御礼は、沢山してもし過ぎる事はないかと思います。

 また、身上や事情を見せられた時にだけお願いするのではなく、健康で順調な時から御礼の参拝の積み重ねが大切かと思います。しかし、やはり逆になる事が多いようにも思われます。それは何故か?それは結構になり過ぎているのかもしれません。親神様からの御守護を頂き過ぎているからなのかもしれません。結構過ぎて、ご守護を頂いていると感じる心が薄れている、または失われているのではないかと思うのであります。

 この信仰は心の拠り所という表現をする事があります。心の拠り所というのは、どういうものかと考えた際に、私はその人の基準点である0点であると考えます。今は、生活水準が上がって心は満たされ心の満足度は0点よりは、遥上にある人が大多数であると思います。しかし、それが身上や事情などにより、落ちてくると信仰がしっかりある方は0点で止まります。それが心の拠り所なのかと思います。しかし、心の拠り所が無い方は満足度が高いうちは良いですが、何かしらの身上や事情で満足度が落ちてきた際には、0点で止まらないでマイナスまで心の奥深く沈んでいくことが多いのではないかと思います。

 現に厚生労働省の統計調査で、精神障害者は約20年前の2002年には223.9万人、約10年前の2011年には287.8万人、現在発表されている最後の年の2017年には389.1万人もいるそうです。また、現在はコロナ禍で心の不調をきたす方が増加しているとの事ですので、389万人よりさらに増加している事が予想されます。この結果が信仰との因果関係があるとは言えませんが、現代社会において心の不調をきたした際に、心の拠り所が信仰ではなく、病院などに切り替わった事も、このような結果になった1つの要因ではないかと信仰者である私は考えます。

 では、この0点は何なのか?と考えた際には、それは教祖のひな型であるのではないでしょうか?教祖は自らが貧に落ちきれと言われ、貧しい方にほどこしをされ貧に落ちきった後も、「世の中には枕元に沢山の食料を積んでいても、食べるに食べられない人もいる。それに比べ我々は水を飲めば水の味がする。結構やないか」と仰せられています。

 本日の春季大祭は、教祖が月日のやしろとお定まり下され50年の長の歳月よろづたすけの為にひながたの道をお遺し下され、尚も子供可愛いそれ故に定命を25年お縮めになり、扉ひらいて世界ろくじに踏み均すと仰せ下されて、現身をおかくしされた尊い縁りの月に当たります。教祖の御苦労を考えると、今の我々は結構だと思います。それに対して御礼、感謝の気持ちが大切で、それを日々親神様、教祖に御礼、感謝する事が大切かと思います。

 感謝を忘れてしまうと、今ある現状に不足したり、もっとこうなって欲しいなどと、どんどん欲が出てきます。そうなると満足どころか、どんどん心が貧しくなってきます。でも、人間ですから、その様な時もあるかと思います。それはそれで仕方ないと思います。しかし、それを放置しておくのは良くないのではないかと思います。放置しておくと0点を超してどんどんマイナスになります。

 そんな時は教祖のひながたを辿り、教えをしっかりと心に納めて、今ある現状を「ありがたい」という気持ちに切り替えさせて頂く事が大切かと思います。不足に思うような事でも、一旦は「ありがとう」と言って言葉に出して、心が落ち着いてから、その事を「不足」ではなく、「ありがたい」という感謝に思えるように心を切り替えさせて頂く事で、今よりもさらに親神様からの御守護を多く受け取る事が出来るようになり、さらに日々結構にお通り頂けるのではないかと思います。

 本日はありがとうございました。

お悩み相談を受け付けています

夫婦や家族、職場の人間関係、子育てや病気など、誰かに聞いてもらいたいけど、身近な人には打ち明けられない。そんなお悩みを聞かせて下さい。
相談は無料です。

相談者:教会長
メンタル心理カウンセラー資格受講修了 検定試験受験予定
上級心理カウンセラー資格 受講中

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です