2025年1月春季大祭講話要約「育てるで育つ」
只今は1月の春季大祭を皆さまとともに陽気に勇んでつとめさせていただけたこと、心から嬉しく思います。ご参拝いただいた皆さまに、心より感謝申し上げます。
年が明けて教祖140年祭三年千日の仕上げの年となりました。祭文でも奏上させていただきまいたとおり、教会の心定めは「地域に必要とされる教会を目指し、地域の皆様のお役に立つ」ということを定めさせて頂きました。皆様方におかれましても、教会の心定めを基に各自の心定めをしていただければ幸いです。
本日は、「育てるで育つ、育てにゃ育たん」についてお話させていただきます。
(明治21年9月24日 おさしづ)
「育てるで育つ、育てにゃ育たん。肥えを置けば肥えが効く。古き新しきは言わん。真実あれば一つの理がある。」
本おさしづのお言葉があった明治21年当時は、ほとんどの方が農民であり、本おさしづは農作物を育てる事に例えて、人を「育てる」という事を教えられたお言葉です。この「育てる」という言葉はおさしづの中で全38回も登場しており、「小人育てる」「何人育てる」「育てるはをやの理」など、親が子を育てる事について諭されているおさしづが多く見受けられます。ここでの親子関係とは、本当の親子であったり、理の親子であったりしますが、現代社会に例えれば上司と部下も、その親子関係にあたるのかと思います。
「育てるで育つ」は一見当たり前のように思える言葉ですが、実際には育てるという行為は非常に難しいものです。私も前職では部長として部下を教育してきましたが、近年では指導とパワハラの境界線が曖昧であるため、上司も大変苦労していると聞きます。また、部下に対して過度に気を遣うことで適切な教育ができず、逆に部下の成長を妨げる「ホワイトハラスメント」という現象も指摘されています。このような状況では、何が正しい指導なのか分からなくなることもあります。しかし、私の経験でも、育てるという行為は、育てる側と育てられる側の双方が主体的に関わり合うことで成り立つものであると思います。他者との関わりの中で人は成長し、その過程でお互いが高め合う関係が生まれるのです。
特に育児では、親が子に行う「しつけ」が重要です。「しつけ」という字は「身を美しくする」と書きますが、これは単に暴力・暴言などの脅しや強制的ではありません。英語で「ホーム・トレーニング」とも訳される「躾」は、社会に出て自立して生きるための家庭での訓練です。そのためには、親子間のコミュニケーションが欠かせません。このコミュニケーションを通じて子供は親に愛着を感じ、その愛着が健全な成長を支える基盤となります。この愛着を辞書で調べると「なれ親しんだ人や物に心をひかれ、離れがたく感じること」という意味が出てきます。つまりは、親子間での愛着形成とは、親がいないと生きていけない必要な人と子供に思われることです。もしこの愛着が形成されない場合、愛着障害が生じ、社会への適応が困難になることがあります。冒頭のおさしづにある「育てるで育つ」に続く「育てにゃ育たん」は、まさに放任や無関心が引き起こす悪影響についての警鐘であると考えます。
現代社会では利己主義や刹那的な考え方が蔓延し、自分さえよければという姿勢や、目先の利益だけを追求する風潮が見られます。しかし、このような自己中心的な生き方では人間関係が希薄化し、ひいては社会全体の発展にも悪影響を及ぼします。つまりは、誰かを「育てる」という行為には、相手への思いやりと責任が伴います。これは家庭、職場、地域社会など、あらゆる場面で求められるものです。そして、育てるという行為は一方通行ではなく、双方向の関係であるべきです。
ただし、「育てる」コミュニケーションで甘やかせばよいというわけでもありません。甘やかすことだけが優しさではありません。時には厳しい言葉を伝えることも優しさの一環です。正しい事ばかりが正解じゃないように、優しさとは、相手に真実に気が付かせる、相手を思う気持ちが大切なのかと思います。言葉言語をつかさどる神様は、「かしこねのみこと様」ですが、「かしこねのみこと様」のほこりは「にくい」です。人の言葉尻をとらえて揚げ足を取ったり、人の忠告を逆恨みして、自分自身の心を腐らしたり、喜びの心が少なく愚痴多く通るのは「かしこねのみこと様」の御心にかなわないません。また、間違いを正す時ほど冷たい態度になりがちです。正しい事を伝えようとするときほど、暖かみのある言葉で、他人の心を勇ませるような言葉、態度が大切であり、聞くべきところ、言うべきところを間違えぬようにして、心腐らぬよう腐らさぬよう、息一つ言葉一つを使い分ける態度が肝心かと思います。
本日は「育てるで育つ、育てにゃ育たん」についてお話しさせていただきました。この世界にお与え頂く自然の恵み、そして我々人間をはじめこの世に命を授けて頂いている生物全ては、親神様のご守護によるものです。しかし、農作物を育て実を収穫するには、土を耕し肥料を与え、除草作業、害虫駆除、水やりなど、幾重にも手を尽くし育てなければ収穫できません。自分自身が成長させて頂く事、また、他人を育てる事も同じです。適切な時期に適切な作業や肥を置き、育てるから育つのであって、育てないと育ちません。「育てる」という行為は、相手だけでなく、自分自身も磨き、成長させる貴重な機会です。これからも、他者を育て、そして自分自身も育てる努力を忘れずに歩んでいきましょう。
ご清聴ありがとうございました。
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相談者:教会長
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