2025年12月月次祭講話

 立教188年12月 月次祭 講話 要旨 講師:柴田正慶

 本日は皆さまとともに本年納めの月次祭を勇んでつとめさせていただけたことを、心から嬉しく思います。ご参拝いただきました皆さまに、心より感謝申し上げます。

本日は「長所と短所」についてお話をさせていただきます。

私たちは日々の生活の中で、人の欠点や、自分の至らないところに目が向きやすいものです。
「あの人は〇〇ができない」、「自分はここがダメだ」 そう思うことは、誰にでもあるのではないでしょうか。しかし私は、長所と短所は別々のものではなく、表裏一体のものだと考えています。つまり、短所だと思っていることも、見方を変えれば長所になり得るということです。


例えば、「マイペースな人」がいます。
この言葉をネガティブに捉えれば、「周りと合わせられない人」と言われるかもしれません。しかし、見方を変えポジティブに捉えれば、「周囲に流されず、落ち着いて行動できる人」とも言えます。

また、「せっかちな人」はどうでしょうか。
ネガティブに捉えれば、「短気だ」「落ち着きがない」と言われることもあります。一方でポジティブに捉えれば、「行動力がある」「決断が早い」と捉えることもできます。

このように、同じ性質でも、どの言葉で捉えるかによって、意味は大きく変わります。心理学では、こうした物事の見方を変えることを「リフレーミング」と言います。
リフレーミングとは、「物事の枠組み(フレーム)を、組み直す(リ・フレーム)」という意味です。
事実そのものを変えるのではなく、受け取り方を変えるという考え方です。
ここで大切なのは、「良い・悪い」をすぐに決めつけないことです。
私たちは無意識のうちに、「普通はこうあるべき」だとか、「自分ならこうする」という基準で人を見てしまいがちです。そして、その基準から外れた時、「短所」と決めつけてしまってはいないでしょうか。


ここで、八つのほこり心得、飯降伊蔵先生の御話「うらみ」をご紹介いたします。

「自分の行き届かん事は思わずに、何か悪い事が出来てくると、他人からでも仕向けて来たように思い、自分の因縁も考えずに人をうらみ、我が悪いと思えん、これうらみと言う。」

このお言葉は、物事を自分の都合の良い枠組みだけで見てしまう心の姿を教えてくださっています。
何かうまくいかないことがあると、「誰かのせい」、「あの人のせい」と考えてしまいがちですが、そこに自分の至らなさを見つめる心がなければ、それは「うらみ」になってしまう、ということです。

そして、続いてこう教えてくださっています。

「人の到らぬところは陰から足してやり、弱い者は助けてやり、遅れた者は待ってやり、こけた者は起こしてやるのがお道やないか。」

相手の足りないところを責めるのではなく、足りないところを補う。遅れている人を急がせるのではなく、待ってやる。転んだ人を叱るのではなく、起こしてやる。これはまさに、人の短所を短所として切り捨てるのではなく、長所として活かし合う生き方ではないでしょうか。

さらに続きには、こうあります。

「それに何ぞあったら言うてやろう。何ぞあったら言うてやろうと、人のあらばかし探しておる。ものごとさかさまに見て居るから正しいところが見えん。」

人の欠点ばかりを探す心は、物事を逆さまに見ている状態だ、と教えられています。
欠点ばかり見ていると、本来その人が持っている良いところ、尊いところが見えなくなってしまいます。
これは、リフレーミングができていない状態とも言えるでしょう。


ここまで、人を「捉える側」のお話をしてきましたが、もう一つ大切なのは、自分が「どう見られているか」という視点です。私たちは、自分の性格や行動を分かっているつもりでいますが、実は「思っている自分」と「周りから見えている自分」には、少なからずズレがあります。

例えば、「自分では気を遣っているつもり」でも、相手には「遠慮がちで分かりにくい」と映っていることがあります。また、「正しいことを言っているつもり」でも、「きつい言い方」と受け取られていることもあります。そこで一度、「自分がよく言われる言葉」、「注意されやすいところ」、「褒められたこと」を、紙に書き出してみると良いと思います。
そして、「これは相手からどう映っているのだろうか」、「この性格や癖は、どうすれば長所として伝わるだろうか」と考えてみることが、大切な心の修養になります。

ここで大切なのは、性格そのものを無理に変えようとしないことです。変えるべきなのは、自分の本質ではなく、表し方、伝え方、関わり方です。例えば、せっかちな人であれば、「早くしなさい」と言う前に、「ここまで進んでくれてありがとう」と一言添える。口数が少ない人であれば、うなずきや一言の返事を意識する。こうした小さな工夫一つで、同じ性格でも、相手に与える印象は大きく変わります。但し、これは自分をよく見せるためではありません。相手との間に、無用な誤解や摩擦を生まないための心遣いです。自分を省みて、「この性格を、どう活かせば人の役に立つだろうか」、「どうすれば、周りが安心して関われるだろうか」と考えることは、自分を責めることではなく、自分を活かすための見直しだと思います。


リフレーミングは、日常の出来事にも現れます。
例えば、コップに水が半分入っている時、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分もある」と思うか。
同じ状況でも、捉え方一つで、気分や、その後の行動は大きく変わってきます。
天理教でいう「たんのう」の教えも、このリフレーミングに通じるものがあります。
私が冬に焚く薪を割っていた際に、木から抜けなくなった斧を取ろうとしたとき、親指の付け根を斧と木の間に挟んで怪我をしてしまいました。この時でも、「信仰しているのに、なぜ怪我をするのか」と不足するのではなく、「自分の大きな因縁やほこりでは、指が無くなってしまったかもしれないところを、信仰によって大難を小難にしてくれたのだ」と喜ぶのでは、全く違います。「信仰しているのに、なぜこんなことが起こるのか」と思うのではなく、「もっと大きな難を、小さな難にしてくださった」と受け取る。良かったなぁと受け取れる心の転換こそが、お道の歩みであると思います。


長所と短所を分けて考えるのではなく、見方を変え、言葉を変え、心を変えていく。

人の足りないところに気づいた時、「これは短所だ」と決めつける前に、「どう活かせるだろうか」、「自分に何が足せるだろうか」と一歩立ち止まって考える。
その積み重ねが、人との関係を和らげ、自分自身の心も穏やかにしてくれるのだと思います。
本日のお話が、皆さまが人を見つめる時、そしてご自身を見つめる時の、一つの心のヒントとなれば幸いです。

ご清聴ありがとうございました。

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相談者:教会長
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